2016年 思いっきり力を発揮できる舞台で
近森会グループ 理事長 近森 正幸 |
五カ年計画の完成と今後の地域医療への影響
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2014年12月には近森病院全面増改築工事が五カ年の歳月をかけようやく完成しました。それに伴う診療体制の整備や引越、338床から452床への増床に対応するために医師を始め看護師、メディカルスタッフの増員、さらに救急患者や入院患者の著しい増加により業務量が膨大となり、ERや手術室、心カテ室、内視鏡センター、病棟などでは多忙を極めています。 2014年度のDPCデータの退院患者数では、工事に伴う病床の減少が影響し、退院患者数は高知医療センター、大学病院、日赤病院に次いで四番目でしたが、2015年度は病床も増え稼働率も高くなっていることから、日赤を抜き大学病院に肉薄する勢いを示しています。眼科や耳鼻科、小児科や産婦人科を除いた脳卒中や循環器、消化器、呼吸器、外傷といった生命にかかわる主な傷病においては、ベッド数の多い医療センターに次いで多くの患者さんに来ていただいていますが、2015年度から2016年度にかけては医療センターを抜き高知県のトップになっていると思われます。近森病院の退院患者さんが増加すると共に、リハ病院やオルソリハ病院の稼働率も高くなっています。
医療環境の激変とマネジメント
2015年は日本の医療の転換点として認識されるのではと考えています。これは2014年4月の診療報酬改定で、短期の入院患者さんを平均在院日数から除外し、長期の重症患者さんを平均在院日数に繰り入れるなど、急性期病院の平均在院日数算定の厳格化が始まったこと、重症度、医療・看護必要度がA or BがA & Bとなり、7:1看護もICU、HCUも維持できなくなり急性期病院から脱落する病院が増えたこと、さらには在宅復帰率も厳しくなり、転院時、在宅として認められないケアミックス病院や療養病床の入院患者さんの減少が起こっています。
基幹病院としてあり続ける唯一の道
人口減少により基幹病院同士の生き残りをかけた競争の時代を迎え、近森病院五カ年計画では114床増床、ハードを一新し高度急性期医療に十分耐えうる建物や設備、機器を整備するとともに、優秀な医師、看護師、メディカルスタッフを増員し活発な研修によるソフト面の充実、さらには電子カルテをバージョンアップしマネジメント能力を地道に高めシステムを充実したことで、10〜20年後の医療に充分対応できる病院に変わりつつあります。私たちが進んでいる道は基幹病院としてあり続ける近森の唯一の進むべき道であったと確信しています。
機能の絞り込みは空気のような存在に
これまでは建物も医療機器もスタッフも、病院が新しく大きくなるために“いけいけどんどん”でやってきました。これからはさらに医療の質を上げ患者数を増やし、在院日数短縮や長期入院患者の転院促進、より重症の紹介患者を増やすといった徹底した機能の絞り込みで労働生産性を上げ、不要不急のプロジェクトは抑えコストを堅実に削減していくという、緻密なマネジメントが求められています。 そのためにはこれまで以上に「選択と集中」で機能を絞り込むことが必要になります。病院の機能を絞り込めば「地域医療連携」、病棟の機能を絞り込めば「病棟連携」、医療スタッフの業務を絞り込めば「チーム医療」が求められます。
「地域医療連携」では、2011年11月に完成した外来センターは完全紹介・予約外来制で、再診の患者さんはもちろん、初診の患者さんもかかりつけの先生方が地域医療連携センターで予約し、紹介状を持って来院しています。 「地域医療連携」や「病棟連携」、「チーム医療」を徹底できているからこそ、近森病院が全国に知られているのだと思います。特に「チーム医療」においては全国トップの「病棟常駐型チーム医療」を展開し、「医師、看護師中心の少数精鋭の医療」から「多職種による多数精鋭のチーム医療」に大きく転換しています。組織も「医師中心のピラミッド型組織」から「多職種によるフラットな組織」へ変わりつつあります。これら機能の徹底した絞り込みにより、医療のやり方を変え、組織までも変革し、それらが多くのスタッフにとって空気のようなあたりまえの病院風土になっていることが、近森発展の原動力になっていると考えています。
浜重副院長の「大内科制」に感謝して
浜重副院長は28年間にわたり「大内科制」を営々と作り上げてくれました。「内科医は専門医である前にジェネラリストであるべきである」という信念のもと、内科の各診療科を「大内科制」として統合し、若い医師をまずジェネラリストとして育て、その後、専門性を高め専門医として成長させてくれました。
大学病院の医局講座制やそれを継承した国公立病院とは異質の、浜重副院長が自由に作り上げてくれた診療科の壁を取り払った「大内科制」という診療体制が、日本の内科診療体制のあるべき姿であることが示され、これほど嬉しいことはありません。
昔も今もこれからも、みんなで力を合わせて
2016年は私の父、近森正博が終戦後すぐの1946年に近森外科を開設して70年目を迎えようとしています。焼け野原の高知駅前で病院を建設し、医療を続け、病院を広げたことで、高知の一等地に立地するというすばらしいロケーションに恵まれました。父は1984年に亡くなるまで40年近く、目先の利益を追わず、その時代、時代で患者さんにとって最もいい医療を目指して頑張ってくれました。「救急の近森」としての確固たる信頼を築き上げてくれるとともに、医療資源としての584床の病床や422名のスタッフ、多くの建物、設備、機器を私たちに残してくれました。救急医療を追求することで先進の医療が充実し、基準看護の導入で診療と看護の両輪が動き始めたように思います。 私も32年前に父の跡を継ぎ外科医、透析医として必死に働き、自己変革を繰り返し、患者さんにとっていい医療を提供し、すべての職員が笑顔でいきいきと働くことができる病院を目指して頑張ってきました。幸いにも、思いをひとつにしてくださる1,972名の優秀な医師やスタッフが集まり、県民、市民には「急性期からリハビリテーション、在宅」への近森会グループの医療の取り組みに厚い信頼をいただいたことで、今日の近森があるように思っています。 私たちが思いきり力を発揮できるすばらしい体制ができあがりました。 2016年は近森会グループが大きく飛躍する年になるよう、心を新たにしてみんなで走り出そうではありませんか。
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